概要

エジプト征服
第25王朝創設
ゲベル・バルカルの勝利碑

エジプトを征服し、第25王朝を創設したクシュの戦士王。ナイル渓谷全域を初めてヌビア人の支配下に統一した偉大な君主。

会話のきっかけ

人生の歩み

780 BCクシュ王国ナパタで誕生

ピイは聖なる山ゲベル・バルカル近くのナパタでクシュ王家に生まれた。彼の一族は何世代にもわたりクシュを統治し、エジプトの宗教的伝統とアムン崇拝を維持していた。

770 BCゲベル・バルカルでの王族教育

若きピイはゲベル・バルカルのアムン大神殿で王族としての教育を受けた。エジプトのヒエログリフ、宗教文書、軍事戦略、王国の統治を学び、将来の王としての準備を整えた。

762 BC軍事訓練の修了

ピイは軍事訓練を修了し、後のエジプト遠征で決定的となる戦車戦、弓術、騎兵戦術を習得した。クシュ軍は熟練した弓兵と規律ある歩兵で名高かった。

755 BCクシュ王位に即位

ピイは父カシュタの後を継いでクシュ王となった。彼が継承した王国はすでにテーベまでの上エジプトを支配しており、即座に権力の強化とナイル渓谷全域の統一計画に着手した。

752 BC妹アメニルディスを神妻に任命

ピイは妹アメニルディス1世をテーベの「アムン神の神妻」に任命した。これは絶大な宗教的・政治的権力を持つ地位であり、この戦略的な動きにより上エジプトとその強力な神官団へのクシュの影響力が強化された。

748 BCテフナクトの連合が上エジプトを脅かす

ナイルデルタのサイスの支配者テフナクトは下エジプトの諸侯連合を形成し、南方への拡大を開始してクシュ支配下の上エジプトを脅かした。この挑戦が最終的にピイの大遠征の引き金となった。

747 BCエジプト遠征の開始

テフナクトがヘルモポリスを占領しヘラクレオポリスを包囲していることを知り、ピイは軍を北へ派遣した。最初の軍では不十分と分かると、彼自身が援軍を率いて出陣し、反乱を完全に鎮圧することを決意した。

746 BCヘラクレオポリスでの勝利

ピイの軍は見事な河川作戦の後、ヘラクレオポリスでテフナクトの連合軍を決定的に打ち破った。クシュ海軍が敵艦隊を壊滅させ、陸軍が地上軍を敗走させ、デルタへの道を開いた。

746 BCヘルモポリスの包囲と占領

ピイはテフナクトと同盟したニムロト王がいるヘルモポリスを包囲した。都市の降伏後、ピイは有名にも真っ先に王室の厩舎を訪れ、包囲中に馬が飢えさせられたことに激怒した。馬への深い愛情が垣間見える。

746 BCメンフィスの占領

ピイはナイルの氾濫期に大胆な攻撃を行い、古代の首都メンフィスを占領した。増水により船を城壁近くまで寄せ、軍兵が壁をよじ登り、堅固に要塞化された都市を見事な軍事的偉業で陥落させた。

745 BCデルタ諸王の服従

メンフィス陥落後、デルタの諸王は次々とピイに服従した。頑強なテフナクトでさえ最終的には使者を送って忠誠を誓った(自身は姿を見せなかったが)。ピイはクシュの支配下でエジプトを統一した。

745 BCヘリオポリス神殿参拝

ピイはヘリオポリスの大太陽神殿に巡礼し、エジプトの正統なファラオとしてラーへの儀式を執り行った。この宗教的行為はエジプトの神官団と民衆の目に彼の統治を正当化するために重要であった。

744 BC勝利碑の建立

ピイはゲベル・バルカルに有名な勝利碑を建立することを命じた。古代エジプトで最も長い碑文の一つで、優雅なヒエログリフで刻まれ、軍事的勝利と個人的な感情の両方を含む彼の全遠征を詳細に記録している。

742 BCナパタへの帰還

勝利の遠征の後、ピイは愛する首都ナパタに戻り、エジプトは彼の宗主権を認める地方の属王たちの統治に委ねた。彼はエジプトから直接統治するよりも故国を好んだ。

735 BCアムン神殿の拡張

ピイはゲベル・バルカルのアムン神殿の拡張と美化に多大な資源を投じた。彼の建築事業は深い信仰心と、軍事的勝利をもたらしたと信じる神への敬意を示している。

725 BC後継者の確保

晩年、ピイは弟シャバカを後継者に指名して円滑な継承を確保した。また息子たちを重要な地位に就かせ、統一されたナイル渓谷王国に対する一族の支配を維持した。

720 BC治世35年

ピイは30年以上の統治を祝った。その間に彼はクシュを地域大国からナイル渓谷全域の支配者へと変貌させた。彼の治世は古代世界におけるクシュの権力と影響力の頂点を示した。

714 BC死去とエル・クルでの埋葬

ピイは約40年の治世の後に死去し、クシュ王家の墓地であるエル・クルのピラミッドに埋葬された。彼が深く愛した馬たちも、完全な栄誉とともに近くの墓に立ったまま埋葬された。