概要
シシィ:魅惑的な皇后、美と魅力が複雑な魂を覆い隠していた。
会話のきっかけ
人生の歩み
エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエはバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフとバイエルン王女ルドヴィカの娘として、ポッセンホーフェン城で生まれた。愛称「シシィ」で親しまれることになる。
エリーザベトはポッセンホーフェン城で幼少期を過ごし、自然と馬への愛情を育んだ。田園地帯を乗馬で探索することを好み、自由奔放な性格が形成された。
姉ヘレーネに同行してバート・イシュルの温泉地を訪れたエリーザベトは、予期せずフランツ・ヨーゼフ1世と出会い、皇帝の心を捉えた。当初姉との縁談が予定されていたが、皇帝は若きエリーザベトに一目惚れした。
エリーザベトはウィーンの聖アウグスティン教会で盛大な式典を挙げ、フランツ・ヨーゼフ1世と結婚した。オーストリア皇后およびハンガリー王妃となり、ヨーロッパで最も美しい女性の一人として称えられた。
エリーザベトはウィーンのホーフブルク宮殿で第一子である皇太子ルドルフを出産した。オーストリア帝位継承者の母としての役割を確立したが、姑ゾフィー大公妃との確執が深まった。
エリーザベトは第二子ギーゼラ王女を出産し、皇室家族を拡大した。しかし宮廷生活の厳格な儀礼と姑との対立により、精神的な苦痛を感じ始めていた。
エリーザベトはハンガリーへの頻繁な旅を始め、ハンガリーの文化と言語に深い関心を抱くようになった。帝国内でハンガリーの利益を擁護し、マジャール人から深く愛される存在となった。
エリーザベトはフランツ・ヨーゼフ1世と共にハンガリー王妃として戴冠した。二重帝国の象徴としての役割における重要な節目となり、ハンガリー国民から熱狂的に迎えられた。
エリーザベトは1867年のアウスグライヒ(オーストリア=ハンガリー妥協)に至る交渉で重要な役割を果たした。この協定によりハンガリーは帝国内でより大きな自治権を獲得し、彼女の政治的影響力が示された。
エリーザベトの健康状態が悪化し始め、療養を求めてコルフ島やマデイラ島などヨーロッパ各地への旅行が増えた。宮廷生活からの逃避と美の追求に没頭するようになった。
エリーザベトはイギリスを訪問し、イギリス国民とヴィクトリア女王から熱烈な歓迎を受けた。ヨーロッパ随一の美女であり外交官としての評判をさらに高め、乗馬の腕前も披露した。
エリーザベトはコルフ島にアキレイオン宮殿の建設を命じた。彼女が愛したギリシャの英雄アキレウスに捧げられた隠れ家であり、古代ギリシャへの深い憧憬を反映した建築となった。
エリーザベトはスイスを頻繁に訪れ、アルプスの静けさと自然の美しさを楽しんだ。ジュネーブやルツェルンに滞在し、宮廷の重圧から逃れる時間を過ごした。
エリーザベトは最後の大規模なヨーロッパ周遊に出発し、フランス、イタリア、ギリシャなど各国を訪問した。宮廷生活の重圧から逃れ、孤独と自由を求める旅であった。
エリーザベトはジュネーブで蒸気船に乗船しようとした際、イタリア人アナーキストのルイジ・ルケーニに暗殺された。ヤスリで心臓を刺され、60年の波乱に満ちた生涯に悲劇的な幕が下りた。
