聖人にして征服者。カスティーリャとレオンを統一し、ムーア人からコルドバとセビリアを奪取した。
会話のきっかけ
人生の歩み
フェルナンド3世は1201年頃、レオン王アルフォンソ9世とカスティーリャのベレンゲラの間に生まれました。両親の結婚は後に無効とされましたが、彼の正統性は認められました。
母ベレンゲラが叔父エンリケ1世の死後、王位継承権を息子に譲渡。フェルナンドは16歳でカスティーリャ王となりました。
フェルナンドはシュヴァーベンのベアトリスと結婚。彼女は神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の従妹で、この結婚により欧州の王室との関係が強化されました。
フェルナンドはイスラム勢力に対する大規模な再征服戦争を開始。これは以後30年にわたる彼のレコンキスタの始まりでした。
父アルフォンソ9世の死去により、フェルナンドはレオン王国も継承。カスティーリャとレオンの永続的な統一を実現しました。
フェルナンドはかつてのウマイヤ朝カリフの都コルドバを征服。グランド・モスクはカテドラルに転用され、キリスト教世界に大きな象徴的勝利をもたらしました。
ムルシア王国はカスティーリャの宗主権を認め、フェルナンドの影響力はイベリア半島南東部にまで拡大しました。
16ヶ月の包囲戦の末、フェルナンドはセビリアを征服。これは彼の最大の軍事的勝利であり、アンダルシア全域がキリスト教世界に回復しました。
最初の妻ベアトリスの死後、フェルナンドはポンティユーのジャンヌと再婚。彼女との間にも数人の子供をもうけました。
フェルナンドは息子アルフォンソの教育に力を注ぎ、後に「賢王」と呼ばれる彼に学問と芸術への深い関心を植え付けました。
フェルナンドは統一法典の編纂を開始し、これは後に息子アルフォンソ10世によって『七部法典』として完成されました。
フェルナンドは北アフリカへの十字軍遠征を計画しましたが、病気のため実現しませんでした。この計画は彼の野心の大きさを示しています。
長年の戦役で疲弊したフェルナンドは重病に倒れ、死期を悟ると息子たちを枕元に呼び、キリスト教信仰への忠誠を誓わせました。
フェルナンド3世は1252年5月30日に崩御。彼はセビリア大聖堂に埋葬され、1671年に教皇クレメンス10世によって列聖されました。
フェルナンド3世は死後400年以上経って列聖され、スペイン王として唯一の聖人となりました。彼はレコンキスタ最大の英雄として記憶されています。