捕虜となった王子はセウタを裏切るより死を選んだ。ポルトガルの殉教者英雄。
会話のきっかけ
人生の歩み
聖太子フェルナンドは1400年頃、ポルトガル王ジョアン1世と王妃フィリパ・オブ・ランカスターの間に生まれました。幼少期から敬虔な信仰心を示しました。
若きフェルナンドは宮廷で騎士道、神学、軍事戦術の教育を受け、兄たちと共に十字軍精神に基づく信仰心を培いました。
15歳でフェルナンドは兄たちと共にセウタ征服に参加。これはポルトガルの海外拡張の第一歩であり、彼に十字軍への情熱を植え付けました。
フェルナンドはアヴィス騎士団の団長に任命され、軍事的・宗教的な責任を担うようになりました。
兄エンリケ航海王子と共に、フェルナンドは北アフリカのタンジール征服を計画。彼はこの十字軍に深い宗教的意義を見出していました。
フェルナンドは兄エンリケと共にタンジール遠征に参加。約6,000人の兵力でモロッコに上陸しましたが、敵勢力を過小評価していました。
ポルトガル軍はモロッコ軍に包囲され壊滅的敗北を喫しました。セウタ返還と引き換えにポルトガル軍は撤退を許されましたが、フェルナンドは人質として残されました。
フェルナンドは条約履行を保証する人質として自らモロッコに残ることを選びました。彼は兄たちの身代わりとなる道を選んだのです。
ポルトガルがセウタ返還を拒否したため、フェルナンドの監禁条件は悪化。彼は過酷な労働と虐待に耐えながらも信仰を保ち続けました。
フェルナンドはフェズに移送され、さらに厳しい監禁生活を送ることになりました。彼は病気と飢えに苦しみながらも祈りを続けました。
ポルトガル王室による身代金交渉は度々失敗し、フェルナンドは自らの解放よりもセウタ保持を優先するよう兄たちに懇願しました。
フェルナンドは6年以上の監禁生活の中で、キリスト教信仰と祈りによって精神的な強さを保ち、周囲の同囚者をも励まし続けました。
過酷な監禁生活によりフェルナンドの健康は著しく悪化。それでも彼は改宗の誘いを断固として拒否し、信仰を守り続けました。
聖太子フェルナンドは1443年6月5日、監禁中に亡くなりました。彼は信仰のために苦難を受け入れた殉教者として崇められています。
フェルナンドは後に列福され、「聖太子」として知られるようになりました。彼はポルトガルで最も崇敬される聖人の一人となっています。