鑑真

鑑真

Buddhist Monk

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AI パーソナリティ

概要

Six Attempts to Reach Japan
Toshodai-ji Temple
Buddhist Precepts Transmission

十二年間で六度の渡海を試みた唐代の僧侶。視力を失いながらも、仏教の戒律、医学、中国文化を日本に伝えた文化交流の象徴。

会話のきっかけ

人生の歩み

688揚州に生まれる

唐代の文化・商業の中心地である揚州に生まれる。家庭の詳細は不明だが、後に東アジア仏教史上最も影響力のある僧侶の一人となる。

702出家して沙弥となる

十四歳で揚州の大明寺に入り沙弥となる。様々な師のもとで仏教を学び、戒律と律宗の修行に卓越した才能を示した。

708具足戒を受ける

都の長安で具足戒を受け、正式な比丘となる。当代最高の律師のもとで学び、僧侶の規律の奥義を究めた。

713律師となる

律の大家として揚州に戻る。戒律の教授と授戒を始め、生涯で中国において四万人以上の僧侶に授戒した。

720律学の第一人者として名声を得る

唐代屈指の律学者として名を馳せる。その学識は仏教戒律にとどまらず、医学、建築、書道にまで及び、時代を代表する博学者となった。

733大明寺住職に就任

江南随一の名刹である大明寺の住職に就任。その指導のもと、寺院は仏教学と僧侶教育の一大拠点となった。

742日本僧からの渡日要請

聖武天皇の使者として日本僧の栄叡と普照が来訪し、正式な授戒制度確立のため鑑真を招聘。弟子たちの反対にもかかわらず、鑑真は十二年に及ぶ苦難の旅を決意した。

743第一次渡海失敗

僧侶と職人を従えて最初の渡海を試みる。しかし嫉妬した弟子の虚偽の告発により海賊と誤解され、官吏に阻止された。

744第二次・第三次渡海失敗

二度の渡海を試みるも、いずれも激しい嵐により船が破壊され、乗組員が離散。数名の弟子が命を落としたが、鑑真の決意は揺るがなかった。

746第四次渡海、官吏に阻止される

第四次遠征は、師を失うことを恐れた弟子たちの訴えに応じた唐の官吏により阻止された。鑑真は揚州に送還されたが、計画を諦めなかった。

748第五次渡海、漂流し失明

第五次の試みは悲劇に終わった。嵐により船は南方の海南島に漂着。過酷な帰路で眼病を患い、完全に失明。日本僧栄叡もこの旅で病没した。

753第六次渡海、遂に日本到着

盲目となり高齢となったにもかかわらず、六度目の渡海で遂に来日を果たす。日本の遣唐使船に同乗し、十二年の忍耐の末、ついに日本の地を踏んだ。

754日本初の公式授戒

東大寺で日本初の公式な授戒式を執り行う。聖武天皇、光明皇后、四百人以上の僧侶に授戒し、日本における正統な授戒制度を確立した。

759唐招提寺を創建

唐招提寺を創建し、日本における律宗の根本道場とした。失明していたにもかかわらず指導した寺院建築は、中国と日本の様式を融合させ、国宝に指定されている。

763唐招提寺で入寂

唐招提寺で安らかに入寂。晩年は教えと布教に捧げた。弟子たちが制作した有名な乾漆坐像は、その穏やかな姿を伝え、国宝に指定されている。