「英国王のスピーチ」の勇気—イギリスの戦時指導者、危機に動じず。
会話のきっかけ
人生の歩み
アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージは、後のジョージ5世となるヨーク公ジョージ王子とテック公妃メアリーの次男として生まれた。王位継承順位は低く、静かな生活を送るはずであった。
アルバート王子は兄エドワードに続いてワイト島のオズボーン海軍兵学校に入学し、海軍教育を開始した。内気な性格と吃音症に苦しみながらも、海軍の厳格な訓練を受けた。
ダートマスの海軍兵学校で訓練を続け、厳しい学業と体力的な挑戦に直面した。学業成績は芳しくなかったが、根気強さと誠実さで周囲の尊敬を得ていった。
戦艦コリングウッドに配属され、現役の海軍軍務を開始した。第一次世界大戦中はユトランド沖海戦にも参加し、砲塔士官として実戦を経験した。
王室がドイツとの関係を断ち切るため家名をウィンザーに変更する際、アルバート王子も正式にジョージと名乗るようになった。これは第一次世界大戦中の反独感情への対応であった。
ヨーク公、インヴァネス伯爵、キラーニー男爵に叙され、王室内での新たな称号と責任を担うことになった。工場訪問など産業界との交流に力を入れ、「産業王子」と呼ばれるようになった。
ウェストミンスター寺院でエリザベス・ボーズ=ライアンと結婚した。彼女は最初は求婚を断っていたが、最終的に受け入れた。この結婚は生涯にわたる強固なパートナーシップとなり、彼の吃音克服を支えた。
ヨーク公夫妻の最初の子エリザベス王女が誕生した。後のエリザベス2世である。当時はまだ王位継承の可能性は低く、平穏な幼少期を過ごすと予想されていた。
次女マーガレット王女がスコットランドのグラミス城で誕生した。王室で約300年ぶりにスコットランドで生まれた王族の子供となった。家族の絆は深く、幸せな家庭生活を送っていた。
兄エドワード8世がシンプソン夫人との結婚のため退位し、予期せず王位を継承することになった。内気で吃音に苦しむ彼にとって、国を率いる責任は途方もない重荷であった。
ジョージ6世と王妃エリザベスはウェストミンスター寺院で盛大な戴冠式を挙行した。ラジオで世界中に放送され、新国王の治世の始まりを告げる歴史的瞬間となった。
ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発し、ジョージ6世は最も暗い時代にイギリス国民を導くことになった。王と王妃はバッキンガム宮殿に留まり、空襲下のロンドン市民と苦難を共にした。
ジョージ6世は国民の士気を高めるため数々のラジオ演説を行った。吃音を克服しながらの有名なクリスマス演説は、イギリス国民の決意を強め、戦時指導者としての地位を確立した。
ジョージ6世と王妃エリザベスは南アフリカへの最初の公式訪問を行い、英連邦の絆を強化し戦後復興を促進した。この訪問中にエリザベス王女は21歳の誕生日に生涯を英連邦に捧げる誓いを立てた。
ジョージ6世は長年の健康不良の末、サンドリンガム・ハウスで睡眠中に崩御した。予期せぬ王位継承から第二次世界大戦を通じて国民を導いた指導力と奉仕の遺産を残し、娘エリザベス2世が王位を継承した。
