薩長同盟を成立させ、徳川幕府の終焉に貢献した幕末の志士。近代日本を夢見た自由な魂は、その夢の実現を見届けることなく暗殺された。
会話のきっかけ
人生の歩み
坂本龍馬は天保6年11月15日(1836年)、土佐藩の下級武士の家に生まれた。龍馬という名は、母の胎内にいる時に龍が天を飛ぶ夢を見たことに由来するとされる。幼少期は泣き虫で引っ込み思案だったという。
母幸が死去し、姉乙女に育てられた。乙女は男勝りの性格で龍馬に武芸を教え、彼の性格形成に大きな影響を与えた。この頃から龍馬は次第に活発で行動的な性格へと変わっていったとされる。
日根野弁治の道場に入門し、小栗流剣術を学び始めた。剣術の修行を通じて心身を鍛え、後に北辰一刀流の免許皆伝を受けるほどの腕前となった。この時期に武士としての基礎を築いた。
江戸に出て千葉定吉の北辰一刀流道場に入門した。この年、ペリー来航という歴史的事件に遭遇し、日本の危機を目の当たりにした。この経験が彼の政治意識を覚醒させる契機となった。
藩の許可なく土佐を脱し、脱藩浪士となった。当時脱藩は重罪であったが、狭い藩の枠を超えて日本全体の変革に身を投じる決意を固めた。この決断が彼の人生を大きく変えることとなった。
幕府の軍艦奉行勝海舟を暗殺しようと訪ねたが、逆に海舟の世界観と海軍論に感銘を受け弟子入りした。勝は龍馬に海防と貿易の重要性を教え、彼の視野を劇的に広げることとなった。
勝海舟が設立した神戸海軍操練所で航海術と海軍の知識を学んだ。ここで近代的な海軍技術と国際貿易の重要性を実地で学び、後の亀山社中・海援隊設立の基礎となる経験を積んだ。
長崎で日本初の商社とも言われる亀山社中を設立した。貿易と海運を通じて倒幕運動を経済的に支援する組織として機能し、後に海援隊へと発展した。龍馬の起業家精神を示す画期的な試みだった。
長年対立していた薩摩藩と長州藩の同盟を仲介し、歴史的な薩長同盟を成立させた。この同盟は倒幕運動の決定的な転換点となり、龍馬の最大の功績として日本史に刻まれている。
医師楢崎将作の娘おりょうと結婚し、薩摩の霧島温泉へ旅行した。この旅行は日本初のハネムーンとも言われている。おりょうは龍馬の危機を何度も救った勇敢な伴侶であった。
後藤象二郎と長崎から京都へ向かう船中で、新しい日本の国家構想「船中八策」を起草した。大政奉還、議会設立、憲法制定など、近代日本の基礎となる革新的な構想が含まれていた。
船中八策の理念に基づき、徳川幕府による大政奉還が実現した。龍馬の構想した平和的な政権移行が現実のものとなり、260年続いた幕府支配は終わりを告げた。日本史の大転換点だった。
慶応3年11月15日(1867年)、京都の近江屋で中岡慎太郎とともに何者かに襲撃され暗殺された。享年31歳。犯人は現在も諸説あるが、見廻組説が有力とされている。龍馬の死は日本の近代化に大きな損失をもたらした。
