コルドバの少年カリフ。名目上統治し、アル=マンスールが剣を振るった。
会話のきっかけ
人生の歩み
ヒシャームはカリフ・ハカム2世とバスク人の側室スブフの子として生まれた。スペインのウマイヤ朝カリフ国の壮麗な宮殿で育った。
ヒシャームは王子にふさわしい伝統的イスラーム教育を受けた。宮廷の家庭教師の下でコーラン、アラビア文学、カリフの義務を学んだ。
父の死後、11歳の若さでヒシャームはカリフとなった。その若さゆえに野心的な廷臣や母親に操られやすかった。
アル・マンスールとして知られるムハンマド・イブン・アビー・アーミルが、ヒシャームの母スブフとの関係を通じて事実上の支配者となった。カリフは傀儡と化した。
ヒシャームはマディーナ・アッザフラーの宮殿群に閉じ込められ、国事から遠ざけられた。マンスールが彼の名で統治し、カリフは黄金の檻の中で暮らした。
マンスールがバルセロナを略奪する壊滅的な襲撃を行っている間、ヒシャームは幽閉されたままだった。カリフの名は彼が指揮したことのない軍事作戦を正当化するために使われた。
マンスールの軍がサンティアゴ・デ・コンポステーラを略奪し、その鐘を戦利品として持ち去った。ヒシャームは宮殿の囚人のままで、名前は援用されても相談されることはなかった。
マンスールはヒシャームの名で20年以上統治した後に死去した。30代になっていたカリフは、成人後ずっと儀礼的な傀儡として過ごしていた。
マンスールの死後、息子のアブド・アル・マリク・アル・ムザッファルが権力を掌握した。アーミル家がカリフ国を支配し続け、ヒシャームは依然として疎外されたままだった。
サンチュエロがヒシャームに後継者指名させようとした時、壊滅的な内戦フィトナが勃発した。様々な派閥が崩壊するカリフ国の支配権を争った。
ヒシャームはムハンマド2世アル・マフディーに廃位された。対立する王位請求者たちがウマイヤ朝権力の廃墟を争う中、前カリフは投獄された。
ヒシャームはベルベル人の支援で短期間復位した。しかし、アル・アンダルスを引き裂く競合する派閥間の闘争における駒のままだった。
ヒシャームは続く内戦の中で再び廃位された。コルドバが混乱と無政府状態に陥る中、彼の運命は不確かになった。
ヒシャームは内戦中に姿を消し、運命は不明である。1013年に死亡したという資料もあれば、ひっそりと生き延びたという資料もある。彼の治世はコルドバ・カリフ国の終焉を示した。
ヒシャームが幽閉の年月を過ごした壮麗な宮殿都市が略奪され焼かれた。この破壊はスペインにおけるウマイヤ朝の栄光の終わりを象徴した。
カリフ国は事実上終わり、アル・アンダルスは独立したタイファ王国に分裂した。ヒシャームの傀儡統治はウマイヤ朝の統一の崩壊を目撃した。