燃えるような情熱を抱いたロマン主義の詩人であり軍人。反抗的な詩句によって、ロシア特有の憂愁、名誉をめぐる価値観、そして破滅へ向かう英雄像を鮮烈に描き出した。
会話のきっかけ
人生の歩み
ナポレオン戦争後の余波が残るモスクワで、ユーリー・ペトローヴィチ・レールモントフとマリヤ・ミハイロヴナ・アルセーニエワのもとに生まれた。貴族としての出自と幼少期の不安定さは、のちに運命、誇り、孤立といった主題を育てる土壌となった。
母マリヤの死後、裕福な祖母エリザヴェータ・アルセーニエワによりタルハヌィの領地へ引き取られた。祖母の強い影響と父との対立は、彼に生涯消えない忠誠の分裂感を刻み込んだ。
繰り返す病のため、祖母に連れられてコーカサスを訪れ、山岳と辺境の気風に強い印象を受けた。この地方の景観と多民族の生活は、のちに『デーモン』をはじめとする作品の中心的素材となった。
タルハヌィからモスクワへ移り、厳格な人文学教育で知られる寄宿学校に入った。教養ある同級生とロマン主義文学に囲まれ、彼は本格的な志で創作に取り組み始めた。
モスクワ大学に入学し、反乱の記憶と厳しい検閲が漂う空気の中で学んだ。バイロンやシラーを吸収しつつ、詩や戯曲はロシア文学の論争の只中で成熟していった。
試験や履修認定をめぐる対立の末、卒業せずに大学を離れた。帝国の首都へ移り、新しい出発と、上流の文芸世界への近接を求めた。
貴族将校の登竜門である養成学校に入り、規律と階級秩序を叩き込まれた。そこで見た名誉、虚栄、対抗心の仕組みは、のちの鋭い人物描写に生きた。
卒業後、近衛騎兵連隊に任官し、若き将校詩人として華やかな社交界に入った。サロンの噂話や決闘の風習は、創作の刺激となる一方で、彼の気質に危険な圧力も与えた。
著名な詩人の死に衝撃を受け、上流社会を糾弾する激烈な詩を書いた。写しが急速に広まり、一夜にして名声を得ると同時に、皇帝の当局の監視を招いた。
詩の政治的な刺が問題視され、逮捕ののち将校としてコーカサスへ送られた。罰であるはずの流刑は、荒々しい自然と実戦の生活によって、逆説的に彼の芸術的素材を深めた。
有力な後援者と祖母の尽力によって、流刑地から首都へ戻った。社交界に再登場して盛んに発表を重ね、闘争的な評判を抱えながらも、最有力の後継者と見なされるようになった。
代表的な抒情詩を生み、民間伝承の響きとロマン主義の強度を結びつけた。同時に長編詩の改稿を続け、検閲と美的完璧さへの執念の間で苦闘した。
フランス大使の息子との口論が決闘へ発展し、宮廷を震撼させた。当局はこれを口実に彼を再びコーカサスへ送り、実戦の危険にさらされる現役勤務が待っていた。
将校ペチョーリンを中心に連作として編まれた、心理描写の鋭い小説を刊行した。道徳的な確信を揺さぶる内容は、専制と検閲の体制下でロシア散文の画期として位置づけられた。
保養地で休暇中、同僚将校との確執が決闘に至った。わずか二十六歳で撃たれて死に、名誉をめぐる文化が天才を刈り取る悲劇の象徴となった。
当初は別の地に葬られたが、祖母エリザヴェータ・アルセーニエワが許可を得て遺骸を故郷へ戻した。タルハヌィでの改葬は巡礼の場を形づくり、没後の国民的評価をいっそう強めた。
