源平合戦を天才的な戦術で勝利に導いた伝説の武将。しかし兄頼朝に疑われ、悲劇の最期を遂げた日本史上最も愛される悲運の英雄。
会話のきっかけ
人生の歩み
源義経は源氏の棟梁・源義朝の九男として誕生。幼名は牛若丸。源氏は平氏と並ぶ武家の名門であり、両家は朝廷の権力をめぐって対立していた。
父義朝が平治の乱で敗死。幼い義経と母は平清盛に命を助けられ流罪となった。兄たちも処刑を免れたが各地に流された。
僧侶になるため京都北方の鞍馬寺に送られる。しかし夜ごと密かに武芸を修練し、父の仇を討ち源氏の名誉を回復することを誓った。
伝説によると、鞍馬山で天狗の王・僧正坊から剣術を学んだという。神話的な話だが、後に日本最高の武将となる彼の卓越した武芸を物語っている。
自らの出自を知った義経は鞍馬寺を脱出。奥州に向かい、北方の豪族・藤原秀衡の庇護を受けることとなった。
日本で最も有名な伝説の一つ。武蔵坊弁慶は999本の刀を集めていたが、若き義経に敗れた。弁慶は永遠の忠誠を誓い、義経最も忠実な家来となった。
兄・源頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、義経は奥州から駆けつけた。鎌倉で成人して初めて兄弟が対面し、源平合戦が本格的に始まった。
義経は断崖絶壁を騎馬隊で駆け下り、背後から平氏の陣を急襲して大勝利を収めた。この「鵯越の逆落とし」は伝説となり、彼の革新的な軍事的天才を示した。
義経は屋島の平氏本拠地を奇襲。戦闘中に弓を海に落としたが、源氏の弓を敵に笑われぬようにと命がけで拾い上げたという逸話が残る。
源平合戦最後の決戦で源氏水軍を指揮。天才的な戦術で平氏を完全に滅ぼした。幼帝安徳天皇は三種の神器と共に入水し、源氏の完全勝利で戦は終結した。
勝利にもかかわらず、義経の名声は兄頼朝の猜疑心を招いた。頼朝は義経の鎌倉入りを拒否、義経は有名な「腰越状」を書いて無実と忠誠を訴えた。
頼朝は義経を朝敵・鎌倉幕府の敵と宣言。かつての英雄は一転して追われる身となり、弁慶ら少数の忠臣と共に逃亡生活を余儀なくされた。
義経は山伏に変装して頼朝の追手を逃れながら日本を縦断。かつて庇護を受けた奥州の藤原秀衡のもとに身を寄せた。秀衡は危険を承知で義経を匿った。
藤原秀衡が死去。義経を守れとの遺言を残したが、息子の泰衡は頼朝の怒りを恐れ義経を裏切る計画を始めた。悲劇の英雄の運命は決した。
泰衡軍に館を囲まれた義経は、捕らえられるよりも死を選んだ。弁慶が門前で伝説の立往生をする間、義経は奥に退き自刃。日本史上最も愛される悲劇の英雄の生涯が終わった。
