帝政ロシアの不条理を、怪奇めいた笑いと抒情的な文体、そして胸に残る写実で暴き出した、きわめて異様で才気あふれる風刺作家。
会話のきっかけ
人生の歩み
ポルタヴァ県のソロチンツィで、マリヤとヴァシーリのもとに生まれた。父は地元の素人劇団のためにウクライナ語の喜劇を書き、彼の風刺と民間伝承への嗜好を形づくった。
名声ある寄宿学校で学び始め、ヨーロッパ文学や古典劇に触れた。同級生は、彼の鋭い物まねと、喜劇的な寸劇や演技の早い試みを覚えていたという。
学業を終えると、官職と文学的評価を求めて都へ移った。貧困、官僚制、出世競争に満ちた街の光景は、のちの都市連作の生々しい素材となった。
筆名で恋愛叙事詩を自費出版し、詩人としての船出を望んだ。だが酷評に打ちのめされ、彼は買い集めた部数を破棄したと伝えられる。
ウクライナの生活と民間伝承に取材した短編が有力誌に載り、生き生きした方言と喜劇的な勢いが評価された。これらの作品は文壇への足がかりとなり、詩より散文へ向かう道を示した。
大詩人に紹介され、その励ましと着想は彼のキャリアの決定的な支えとなった。サロンや出版人を通じて都の文化的ネットワークに入り、大規模な風刺計画を練り始めた。
二巻からなる短編集は、民間伝承、怪奇、滑稽な語りを融け合わせ、新しい才能としての地位を確立した。読者は新鮮な地方色を称え、批評家はロシアの語りに新しい型が生まれたと評した。
収入と社会的体面のため、大学の歴史講師の職を引き受けた。教育は気質に合わず講義の出来も安定しなかったが、国民的叙述への関心を深める契機となった。
新たな短編集には、歴史的物語などが収められ、田園の笑いから、より暗い歴史的・道徳的葛藤へと主題が拡張された。文体の統御は増し、暴力と運命への執着も強まっていった。
賄賂と恐慌に陥る地方官吏を痛烈に笑い飛ばす喜劇が上演され、官の関心と大衆の熱狂を同時に集めた。標的をめぐる騒ぎと噂は大きく、彼は初演後まもなく国外へ出ることになる。
ドイツとスイスを巡ったのち、イタリアに長く滞在し、都の陰謀や批判から距離を取ろうとした。国外で長編の主要部分を書き進め、ロシア人の視点からヨーロッパ文化を観察した。
地主社会と農奴制を風刺する長編の第一部を刊行し、その構想はかつて大詩人と語り合った着想に形づくられていた。同時期に発表された短編は、小役人の惨めさを都の神話へと変え、都市文学の象徴となった。
ローマなどで、不安や病、文学の道徳的目的への強迫観念に悩まされ、長編第二部を何度も書き直した。霊的助言者の影響と禁欲的衝動は、風刺から説教へ彼を引き寄せていった。
道徳的刷新を説き、専制と身分秩序に同情的にも響く書簡集を刊行した。批評家は反動的だと糾弾し、多くの崇拝者が離れていく転機となった。
霊的再生を求め、強い信仰熱のさなかに巡礼としてエルサレムへ向かった。旅は内的な不安を解決せず、彼はなお創作への不満と救いへの恐れを抱えたまま帰還した。
強い精神的圧迫と厳格な宗教的助言のもと、長年取り組んだ長編第二部の原稿の多くを焼却した。友人たちは衝撃を受け、この行為は芸術的才能と道徳的完璧主義の葛藤を象徴するものとなった。
病と自ら課した断食の時期を経てモスクワで死去し、医師や文学仲間を含む周囲を深く憂慮させた。彼の死は苦悩する天才という伝説を決定づけ、修道院に公の注目の中で埋葬された。
