「無原罪の御宿り」教皇:最長の在位、近代主義と戦い、カトリックの教義を定義した。
会話のきっかけ
人生の歩み
ジョヴァンニ・マリア・マスタイ=フェレッティは教皇領の貴族の家庭に生まれた。幼少期にてんかんを患い、当初は軍人としての道を断念せざるを得なかったが、この経験が後の聖職者としての道を開くことになった。
ジョヴァンニはてんかんに対する特別な免除を受けて司祭に叙階された。その卓越した知性と優れた行政能力により、教会の階層を急速に昇進し、将来の教皇候補として注目を集めるようになった。
ジョヴァンニはスポレート大司教となり、改革者かつ穏健な自由主義者としての評判を得た。イタリア民族主義の願望に対して同情的な姿勢を示し、地域の人々から深い信頼と尊敬を集めた。
ジョヴァンニは教皇グレゴリウス16世によって枢機卿に昇格した。保守的な教皇庁の中で、穏健な改革者として見なされ続け、次期教皇の有力候補として広く認識されるようになった。
ジョヴァンニは教皇に選出され、ピウス9世の名を採った。彼の選出は改革とイタリア統一を期待するイタリア自由主義者たちに熱狂的に迎えられ、新時代の幕開けとして祝福された。
ピウス9世は政治犯への恩赦、報道の自由、諮問議会の設置など画期的な自由主義的改革を導入した。ヨーロッパ全土で自由主義的教皇として称賛され、改革の象徴として広く知られるようになった。
革命がローマを席巻し、ピウス9世の首相ロッシが暗殺された。教皇はガエータに逃亡し、外国の軍事介入を求め、かつての自由主義的な評判を完全に捨て去ることとなった。
フランス軍がローマ共和国を武力で鎮圧した後、ピウス9世をローマに復位させた。この経験により彼はますます保守的になり、自由主義とイタリア民族主義に強く反対するようになった。
ピウス9世は自由主義、合理主義、近代文明を厳しく非難する誤謬表を発布した。この文書は自由主義者に大きな衝撃を与え、その後数十年にわたるカトリック保守主義の基盤を定義した。
ピウス9世は教皇不可謬性を定義した歴史的な第一バチカン公会議を召集した。この教義は、教皇が信仰と道徳について教座から語る時は誤ることがないと厳粛に宣言した。
イタリア軍がローマを占領し、千年以上続いた教皇領の歴史に終止符を打った。ピウス9世はバチカンの囚人を自称し、イタリア国家の承認を断固として拒否し続けた。
ピウス9世は歴史上最長の教皇在位期間である31年の後に逝去した。彼は自由主義的改革者からカトリック保守主義と教皇絶対主義の象徴へと劇的な変貌を遂げた人物として記憶されている。
