イタリア大統領ペルティーニ:ファシズムに対する誠実さ、国民の良心。
会話のきっかけ
人生の歩み
サンドロ・ペルティーニは1896年9月25日、北イタリアのリグーリア州ステッラで裕福な地主の家庭に生まれた。本名アレッサンドロ・ペルティーニ。後にイタリア共和国大統領となる彼は、イタリア政治史上最も愛された指導者となった。
第一次世界大戦勃発後、イタリア軍に志願入隊した。アルプス山岳部隊で勇敢に戦い、戦功により銀勲章と銅勲章を授与された。この戦争体験は彼の平和主義への信念を深める契機となった。
ジェノヴァ大学で法学の学位を取得し、弁護士としてのキャリアを開始した。同時に社会主義運動に深く関わり始め、労働者の権利擁護に情熱を注ぐようになった。
ムッソリーニのローマ進軍とファシスト政権の成立に対し、早くから公然と反対の立場を表明した。イタリア社会党の活動家として、ファシズムに対する抵抗運動の中心人物となっていった。
地下反ファシスト新聞の発行に携わり、ファシスト政権の弾圧を批判する記事を執筆した。この活動により当局から危険人物として監視されるようになり、複数回の逮捕を経験した。
反ファシスト活動を理由に逮捕され、投獄された。この後、彼は合計15年以上を刑務所と流刑地で過ごすことになる。獄中でも信念を曲げず、抵抗精神を貫き続けた。
政治犯としてヴェントテーネ島に流刑となった。この孤島で他の反ファシスト知識人たちと交流し、戦後イタリアの民主主義再建について議論を重ねた。この経験が後の政治哲学を形成した。
ムッソリーニの失脚により釈放され、パルチザン抵抗運動の指導者となった。北イタリアでナチス・ドイツとファシスト残党に対するゲリラ戦を指揮し、解放闘争の英雄として名を馳せた。
1945年4月25日のミラノ解放蜂起を指導し、ドイツ軍の降伏を受け入れた。この日は後にイタリアの解放記念日となった。彼はパルチザン闘争の象徴的指導者として全国的な名声を得た。
新生イタリア共和国の下院議員に当選し、社会党の中心的政治家として活躍を開始した。以後30年以上にわたり国会議員を務め、労働者の権利と民主主義の擁護に尽力した。
イタリア下院議長に選出され、1976年まで務めた。議会運営において公正さと品位を重んじ、左右両陣営から尊敬される議長として知られた。この時期に国民的人気を確立した。
82歳という高齢でイタリア共和国第7代大統領に選出された。社会党出身者として初の大統領となり、その率直な人柄と国民への親しみやすさで「国民の大統領」として広く愛された。
スペインで開催されたサッカーW杯でイタリアが優勝した際、決勝戦を観戦するペルティーニの喜ぶ姿がテレビ中継され、国民的な人気が頂点に達した。彼の素朴な喜びの表現は多くの人々の心を打った。
7年間の大統領任期を終えた。テロリズムとの戦い、モロ元首相誘拐殺害事件への対応など困難な時代を、国民の団結と民主主義の価値を訴え続けることで乗り越えた。
1990年2月24日、ローマで93歳で死去した。彼の死を悼み、全国的な追悼が行われた。反ファシズム抵抗運動の英雄、民主主義の擁護者として、イタリア現代史に永遠に刻まれる存在となった。
