メロヴィング朝の王、家族間の争いで殺された。復讐に燃えるブルンヒルデと結婚。
会話のきっかけ
人生の歩み
シギベルト1世は535年頃、メロヴィング朝フランク王クロタール1世の息子として生まれた。四人兄弟の中でも特に教養があり、後に知性と文化を重んじる王として知られるようになった。
父クロタール1世の死後、フランク王国が四分割され、シギベルトはアウストラシア王国を相続した。首都はランスに置かれ、彼は東部フランク王国の統治者となった。
東方から侵入したアヴァール人(遊牧民族)と戦い、初戦で敗北して捕虜となった。しかし身代金を支払って解放された後、軍を立て直して反撃し、アヴァール人を撃退することに成功した。
西ゴート王国の王女ブルンヒルダと盛大な結婚式を挙げた。詩人ヴェナンティウス・フォルトゥナートゥスがこの婚礼を称える詩を作り、二人の結婚はメロヴィング朝史上最もロマンチックなものとされた。
パリを統治していた兄カリベルト1世が死去し、その領土が残りの三兄弟で分割された。シギベルトはパリの一部とその周辺地域を獲得し、アウストラシアの勢力を拡大した。
弟ヒルペリク1世がブルンヒルダの姉ガルスウィンタと結婚したが、間もなく彼女を絞殺した。この事件はブルンヒルダの復讐心に火をつけ、兄弟間の血なまぐさい争いの原因となった。
ネウストリア王ヒルペリク1世との対立が激化した。ガルスウィンタ殺害に対するブルンヒルダの復讐要求と、領土をめぐる争いが絡み合い、フランク王国は内戦状態に陥っていった。
弟ヒルペリクからトゥールとポワティエを奪取する軍事作戦を成功させた。これらの都市の獲得は、アウストラシアの西方への影響力拡大を意味し、兄弟間の勢力均衡を大きく変えた。
ヒルペリクとの内戦で一時的な優位を確立した。シギベルトの軍事的才能とブルンヒルダの政治的手腕の組み合わせは、アウストラシアを最強のフランク分国に押し上げた。
決定的な勝利を目指してネウストリアに侵攻し、パリに迫った。ヒルペリクを追い詰め、フランク王国全体の支配者となる目前まで迫った。勝利は確実と思われた。
575年、勝利目前のヴィトリーで、ヒルペリクの妻フレデグンドが送った二人の刺客に毒刃で刺され暗殺された。40歳だった。彼の死はアウストラシアの優位を一転させ、王国に長期の混乱をもたらした。
シギベルトの死後、息子ヒルデベルト2世が幼くして王位を継承し、母ブルンヒルダが摂政となった。ブルンヒルダはフレデグンドとの復讐の連鎖を継続し、メロヴィング朝史上最も激しい王族間抗争が続いた。
