「カトリック王」フェルナンド:スペインを統一し、ムーア人を追放し、コロンブスの航海を後援した。
会話のきっかけ
人生の歩み
フェルナンド2世は1452年3月10日、アラゴン王フアン2世とフアナ・エンリケスの間に生まれました。幼少期から王位継承者として教育されました。
異母兄カルロスの死後、フェルナンドは正式にアラゴン王国の後継者として認められ、父王の共同統治者としての役割を担い始めました。
フェルナンドはカスティーリャの王女イサベルと密かに結婚。この結婚は両王国の統一への第一歩となり、スペイン統一の基礎を築きました。
イサベルがカスティーリャ女王として即位すると、フェルナンドは共同統治者となり、「カトリック両王」として知られる共同統治が始まりました。
父フアン2世の死により、フェルナンドはアラゴン、カタルーニャ、バレンシア、シチリアの王となり、イベリア半島の大部分が統一されました。
フェルナンドとイサベルはイベリア半島最後のイスラム国家グラナダに対する最終的な征服戦争を開始。これはレコンキスタの完成を目指すものでした。
グラナダ王ボアブディルが降伏し、800年に及ぶレコンキスタが完了。フェルナンドとイサベルはアルハンブラ宮殿に入城しました。
フェルナンドとイサベルはクリストファー・コロンブスの西回り航路探検を後援。これによりアメリカ大陸が「発見」され、スペイン植民地帝国の基礎が築かれました。
カトリック両王はアルハンブラ勅令を発布し、スペインからのユダヤ人追放を命じました。これは宗教的統一を目指した政策でしたが、歴史的に批判されています。
フェルナンドはポルトガルとの間で新世界の分割に関する条約を締結し、スペインの海外領土の法的基盤を確立しました。
イサベル女王の死去により、フェルナンドはカスティーリャの統治権を失い、娘フアナとその夫フェリペに王位が移りました。
フェルナンドはフォワのジェルメーヌと再婚。男子後継者の確保を望みましたが、二人の間に生まれた子供は幼くして死亡しました。
フェルナンドはナバラ王国を征服し、スペインのほぼ全土を統一。これにより現代スペインの領土的基礎が完成しました。
晩年のフェルナンドは孫のカルロス(後のカール5世)への王位継承を準備し、ハプスブルク朝スペインの基礎を築きました。
フェルナンド2世は1516年1月23日に崩御。彼はスペイン統一の父として、また狡猾な外交家として歴史に名を残しています。