概要
ピサロ:インカ帝国の征服者、リマを建設し、スペインに富をもたらした。
会話のきっかけ
人生の歩み
フランシスコ・ピサロはスペインのエストレマドゥーラ地方トルヒーリョで私生児として生まれた。貧しい出自から身を起こし、後にインカ帝国を征服する征服者となる運命を背負っていた。
ピサロは新大陸への探検隊に加わり、イスパニョーラ島に渡った。この航海が彼の征服者としての経歴の始まりとなり、新世界での富と名声を求める野望に火をつけた。
ピサロはアロンソ・デ・オヘダ率いる南米大陸探検隊に参加した。この遠征で彼は熱帯のジャングルでの生存術と先住民との交渉術を学び、将来の征服活動の重要な基礎を築いた。
ピサロはバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアの遠征隊に副官として参加し、ヨーロッパ人として初めて太平洋を目撃した。この発見が南米西海岸への関心を高めることとなった。
ピサロはディエゴ・デ・アルマグロとともに最初のペルー遠征を開始した。しかし食料不足と先住民の激しい抵抗により失敗に終わり、多くの隊員を失って撤退を余儀なくされた。
ピサロは2度目のペルー遠征を敢行した。困難な状況の中、彼は「ガロ島の13人」と呼ばれる忠実な部下とともに南下を続け、ついにインカ帝国の存在を確認することに成功した。
ピサロはスペインに帰国し、カルロス1世からペルー征服の許可と総督の地位を獲得した。この勅許状により彼はインカ帝国征服の法的根拠と王室からの支援を得ることができた。
ピサロはカハマルカでインカ皇帝アタワルパを奇襲により捕獲した。わずか168人の兵士で数千人のインカ軍を打ち破ったこの戦いは、征服史上最も大胆な作戦の一つとなった。
ピサロは莫大な身代金を受け取った後もアタワルパを解放せず、反逆罪と偶像崇拝の罪で処刑した。この背信行為はインカ帝国の組織的抵抗を弱めたが、スペイン人への憎悪を深めることとなった。
ピサロはインカ帝国の首都クスコに入城し、征服を完了した。黄金で飾られた太陽の神殿コリカンチャなど、壮麗な都市の富はスペイン人征服者たちを驚嘆させた。
ピサロは太平洋沿岸に新しい首都リマを建設した。「王の都市」と名付けられたこの都市は、スペイン植民地ペルー副王領の政治・経済・文化の中心地として発展することになる。
かつての盟友ディエゴ・デ・アルマグロとの間で領土と権力をめぐる争いが激化し、内戦が勃発した。征服者同士の権力闘争は植民地の安定を脅かす深刻な問題となった。
ピサロの弟エルナンドがラス・サリナスの戦いでアルマグロを破り、捕虜として絞首刑に処した。この勝利によりピサロ家はペルーの支配権を確立したが、新たな敵を生むこととなった。
アルマグロ派の残党や不満を持つ征服者たちからの反対が増大した。ピサロの専制的な統治と征服で得た富の独占に対する怨嗟の声は日増しに高まっていった。
フランシスコ・ピサロはリマの自邸でアルマグロ派の残党により暗殺された。65歳の老征服者は剣を手に最後まで抵抗したが、20人以上の刺客に襲われ命を落とした。
