金口。権力者に真実を語り、二度追放されたほど雄弁な説教者。
会話のきっかけ
人生の歩み
ヨハネス・クリュソストモスはローマ帝国の主要都市アンティオキアで、ギリシャ系シリア人の裕福な家庭に生まれました。父は軍の高官でしたが、ヨハネスが幼い頃に亡くなりました。
当時最も著名な異教徒の修辞学教師リバニオスの下で古典教育を受け始めました。弁論術と哲学を学び、後の説教における雄弁さの基礎を築きました。リバニオスは彼を最も優秀な弟子と評しました。
ヨハネスはキリスト教に改宗して洗礼を受けました。この決断は彼の人生における大きな転換点となり、以後、世俗的なキャリアを捨てて神学研究と禁欲的な生活に専念するようになりました。
アンティオキア近郊の山中に隠遁して隠修士の生活を送りました。約6年間にわたり厳格な禁欲生活を実践しながら聖書研究に没頭しましたが、過酷な苦行により健康を害しました。
メレティオス主教により助祭に叙階され、正式な聖職者としての道を歩み始めました。教会行政と典礼の実務を学び、説教者としての才能を磨く機会を得ました。
司祭に叙階されると、その雄弁で力強い説教が大きな注目と称賛を集めるようになりました。アンティオキア大聖堂での説教には何千人もの聴衆が押し寄せ、「金の口」の異名を得ました。
社会正義、慈善活動、貧者への援助の重要性を力強く説きました。富裕層の贅沢と貧困層の苦しみの対比を鋭く批判し、すべてのキリスト者に慈善の義務を訴えかけました。
説教者としての名声はますます高まり、帝国全土にその名が知られるようになりました。雄弁で力強い説教により大勢の聴衆を集め、多くの人々をキリスト教信仰に導きました。
東ローマ帝国で最高の教会的地位であるコンスタンティノポリス大主教に選出されました。皇帝アルカディウスの宮廷官僚により半ば強制的に連れ出され、就任させられました。
典礼実践、聖職者規律、道徳教育に重点を置いた包括的な教会改革を開始しました。腐敗した慣行を正し、聖職者の簡素な生活を求め、教会財産を貧者のために使うよう命じました。
皇后エウドクシアの贅沢な生活と虚栄を公然と批判しました。宮殿の近くに建てられた皇后の銀像を非難したことで、宮廷との政治的緊張が深刻化しました。
宮廷や一部の聖職者との対立により、アルカディウス帝の命でポントスに追放されました。しかし民衆の抗議と地震という「神罰」を恐れた皇帝により、間もなく召還されました。
短期間コンスタンティノポリスへの帰還が許されましたが、再び皇后を批判したため、すぐに二度目の追放命令が下されました。今度は帰還の望みはありませんでした。
カッパドキア山中の辺境の町ククススに追放されました。過酷な環境にもかかわらず、そこでも精力的に著述と書簡のやり取りを続け、支持者たちとの連絡を維持しました。
さらなる僻地への移送を命じられ、その途上カッパドキアのコマナで過酷な旅の疲労により亡くなりました。「金の口」と称された偉大な説教者は流刑の身のまま生涯を閉じました。
