大化の改新を主導し、蘇我氏を打倒して中央集権的な天皇制を確立した革命的な皇子。日本の政治構造を何世紀にもわたって形作った。
会話のきっかけ
人生の歩み
舒明天皇と皇極天皇の子として誕生。蘇我氏が朝廷を支配する時代に生まれ、皇室は実質的に蘇我氏の傀儡となっていた。
中国の古典、仏教、統治について学び始める。遣唐使を通じて唐の行政制度に触れ、後の改革の種が蒔かれた。
舒明天皇が崩御し、母の皇極天皇が即位。蘇我入鹿が絶大な権力を振るい、皇室を軽んじる姿に皇子は憤りを募らせた。
蘇我入鹿が山背大兄王とその一族を攻め滅ぼすのを目撃。このような蘇我氏の暴挙が、皇子の打倒への決意を固めさせた。
蹴鞠の会で中臣鎌足と出会い、秘密の同盟を結ぶ。共に蘇我氏打倒を計画し、信頼できる支持者を集め始めた。
朝廷での外交儀式の最中、蘇我入鹿を自ら斬り殺す。この大胆な行動により蘇我氏の支配は終焉を迎えた。
日本初の包括的な政府改革である大化の改新の詔を発布。私有地の廃止、国郡制の確立、税制の整備など、天皇への権力集中を図った。
叔父の孝徳天皇の下で正式に皇太子となる。天皇ではなかったが、政策に大きな影響力を持ち、改革を推進し続けた。
日本初の体系的な戸籍制度を実施。この人口調査により、政府は課税や労役徴発が可能となり、国家と人民の関係を根本的に変えた。
孝徳天皇が崩御したが、皇子は即位を辞退。母が斉明天皇として重祚し、皇子は皇太子として実質的に政権を掌握し続けた。
日本の同盟国・百済が唐・新羅連合に滅ぼされる。皇子は百済復興のため軍事介入を準備し、日本史上最大の海外遠征となった。
朝鮮への軍事遠征を率いていた斉明天皇が崩御。皇子は正式な即位なく政務を担い、戦争指揮と国内統治を両立させた。
白村江で唐・新羅連合軍に壊滅的な敗北を喫する。この敗戦により日本の朝鮮介入は終わり、唐からの侵攻に備えた防衛態勢の構築が急がれた。
都を大和から近江国大津に移す。唐の侵攻に備えた戦略的移転であり、新時代の天皇権威の象徴でもあった。
数十年にわたる実質的な統治者としての立場を経て、ついに天智天皇として正式に即位。改革を正統化し、中央集権的天皇統治の先例を確立した。
大津宮で崩御。後継者問題が不明確だったため、息子の大友皇子と弟の大海人皇子の間で壬申の乱が勃発し、大海人皇子(天武天皇)が勝利した。
